2022年の夏のあの日、私の右手足は突然動かなくなりました。最初は疲れたのかな?と楽観的に考えてたのも束の間、自力で立ち上がることもできず、周りの人も私が何を言ってるのか理解できない様子を見て、あぁやってしまったと思いました。

ICU(集中治療室)でも現実を直視できず、一般病棟に行ってもオムツ姿で感覚すらない右手足を受け入れることもできず、眠れない日々が続きました。食事も満足にできず、右手がピクッと動いたのは14日目のことでした。

それもあってようやく麻痺も改善するかも?と淡い期待を抱いて回復期リハビリ病院でも必死に毎日自主練もしました。朝5時半から麻痺側のストレッチもしたり起立訓練もしていく中、徐々に不安も大きくなっていきます。そう、思ったより回復が遅い気がしたのです。変な話、ある一定の日からギュイーンで良くなると勝手に思い込んでただけで、現実はそう甘くはありません。自分の今の立ち位置を漠然と認識した時に波平さんの存在を知った私は、退院後に是非この人に診てもらいたいと手配していました。

初めて波平さんに右上肢を触ってもらった時の衝撃は今でも忘れません。筋トレみたいなリハビリではなく、YouTubeとかでよく見るような「訳のわからないマッサージ」を右手首にされた時に完全に騙されたと思ったのですが、倒れてからずっと悩まされてた手首の腫れぼったい感じが無くなってたのです。あの瞬間にこの人になら自分の人生を任せてみたい、そう思えました。それからはこちらの要望に極力応えてもらう形で、ぎこちなさは多少ありますが安定した歩行も戻り、右上肢の回復を目指して今もお世話になっています。
何よりも最初にお会いしてからずっと、のど自慢に出たいと話していた私のことを応援して下さり、その夢を叶えられたことは感謝の一言では表せないほどです。波平さんと一緒だから叶えられたんです。

脳卒中患者のほとんどが絶望感を経験します。当たり前の日常が送れなくなってしまい、毎日が苦行にしか感じなくなります。

現行の保険制度の中での回復期リハビリテーションも、退院後の外来リハビリもある程度の期限や単位数も制限があり、まだまだ充分とは言えません。そして病院が提示したゴールと患者さんとその家族が望むゴールには乖離が生じているのも事実です。これは私自身が経験したからこそ言えることだと思います。

こんなはずじゃなかった、、、
そういう思いでこれからの毎日を過ごすのではなく、自分で頑張る限りゴールを少しずつズラすことができるリハビリがあるとしたら、そこに頼りたくなるのも事実です。
そして波平さんならそれが可能です。

リハビリの際には必ず歩き方や身体の硬さをチェックした上で、本人の悩みと調子を踏まえた上でオーダーメイドでリハビリを組んでくれます。自分のことのように波平さんも同じように身体のことを考えてくれます。沖縄リハビリステーションNOVAならそれが可能です。

そして波平さんが山梨リハビリテーション病院で一緒に働いていた上原さんも一緒にいる今は更に盤石です。

何か困ったことがあれば、皆さんも是非一度、沖縄リハビリステーションNOVAに足を運んで相談してみてください。きっと笑える日がそのうち訪れます。

一緒に明るい未来へ進んで行きましょう。

リハビリテーション医
泌尿器科専門医・指導医
医師会認定産業医

仲宗根 啓

仲宗根 啓先生へ


先生と初めてお会いした日、麻痺側の手足に触れた瞬間のことは今でも思い出します。
先生の日々努力される姿があり、ここまで回復されたこと、とても嬉しく思います。

のど自慢に出場し、夢を叶えられたこと、本当におめでとうございます。
先生が「一緒だから叶えてくれた」とおっしゃったことは、私にとって何よりも嬉しい言葉です。
杖や装具を使わない屋内外の歩行やのど自慢で麻痺手でマイクを持ち、想いを込めて歌を歌う姿、多くの方々に勇気と希望を届けました。麻痺側の手足を使いながら車の運転を再開されたことも生活が変わる大きな喜びです。

脳卒中による後遺症と向き合うことは、時には孤独で、辛く、先が見えなくなることもあるかもしれません。
沖縄リハビリステーションNOVAは、そんな「もう一歩先」を目指して人々の力になれる場所でありたいと思います。これからも対象者様とともに、一つ一つの挑戦を大切にしながら進んでいきたいと思います。
先生の言葉を深く胸に刻み、これからも誠心誠意、歩み続けていきます。

沖縄リハビリステーションNOVA
代表 / 作業療法士
波平 昴